ジュラ・キシュ マスタークラス

2014.03.27

4月、東京で行われるピアノコンクール、ジュラ・キシュ国際コンクールの本選に、審査委員長であるキシュ先生がハンガリーから来日されます。
有名なショパンコンクールやバッハコンクールなども亡くなった後に作られたコンクールなので、キシュ先生は「まだ生きているのに」と、もちろん冗談交じりでおっしゃっていました。 とても名誉あるピアニストです。

その後、東京と横浜でマスタークラス(個人レッスン)を行います。ピアニストや、演奏に励んでいる方々にとって、ヨーロッパ音楽を直接伝授してもらえる、最高の機会だと思っています。
是非、私たち日本人には持っていない、感じ方、表現力、イマジネーション等を学び、今後の演奏に生かしていく機会に繋げていければと思います。
詳細はこちらからどうぞ。
http://www.yisae.com/master-class.html
http://szep-music.com/index.html(教室ホームページ)

~リスト音楽院サマーセミナー⑤~

2011.09.20

前回のお話の続きです。
ずっと行きたかったハンガリーへびっくり!!ついに行ける事を前に、期待と、演奏が終わるまでは何とも言えない不安とで、混ざっていました。
ハンガリーでは、キシュ先生が待っていて下さいました。後藤先生が通訳とアシスタントで、私もお手伝いをしました。メンバーは高校生と、社会人の6名で、皆さん初対面だったんですけれど、楽しくて、すぐ仲良くなれたので良かったですニコニコ
マスタークラスは9時~17時までで、レッスン以外は練習でした。一日目、初日のレッスンを受け終わった後、やばいと思いました。練習室からは、みんなの音が聞こえるんですけれど、相当上手かったです。最終日には、演奏会を控えていたので、このままだと出れないと、焦りました。
その日ホテルに戻り、後藤先生に呼び出されました。案の定、みんなと音楽のテンションが全然違うこと。何をしに来たのか、と、怒られました。焦りと、自分のやばさで胸が詰まり、涙をこらえることで必死でした。演奏会に出れない。。でも、ここはハンガリーだし、逃げられない。。
すると、自分もそうだったと、留学時代の話をしてくれました。
後藤先生は、「人は変わるときは一瞬だよ。」と、よく話してくれます。翌日のレッスンは、「その言葉と、自分を信じて、思いっきりやってみな。」と、言って下さいました。
二日目のレッスン。
終えた後、一回目の時にあった焦りと、暗い気持ちがありませんでした。充実していました。
「何があったのか?」
と、キシュ先生に聞かれてしまうほど、前回がやばかったという事です。後藤先生が呼び出したことを説明してくれていました。課題はありますが、やっとスタート地点に立てたと、後藤先生に言ってもらえました。
キシュ先生にも、「今の演奏だと、tutomuが聞いたらびっくりする。喜ぶよ。」と、独り言のようにささやいてもらえました。その言葉に涙が溢れ出てしまい、その夜、再び後藤先生に怒られてしまいました。
キシュ先生や後藤先生だって辛くて、あえて今は言わないようにしているのに、私のとった行動は間違っていました。しかもレッスンを中断させてしまったことは、すごく失礼なことです。
三日目のレッスン。
最後のレッスンまで、キシュ先生は、諦めることなく、すごく一生懸命にレッスンをして下さいました。もっと基礎を固めてからレッスンをしてもらうべきはずが。。みんな、同じ事を言っていました汗
みんなにそうなんですけれど、私のレベルでも、心を傾けて下さったキシュ先生の人柄に、本当に感謝致します。感謝だけではなく、もっと実力を上げますびっくり!!
演奏会、みんな緊張したんですけれど、上手かったです。みんなの演奏が聴けて、良かったです。最後になんと、キシュ先生がサプライズで演奏を聴かせて下さいましたびっくり!!ショパン「雨だれ」とシューマン「アラベスク」の2曲もです。
心に染みるように、ピアノの音が入ってきました。涙が出そうなほど、胸が熱くなりました。
同じピアノだとは思えません。。
ヨーロッパでの演奏会を、無事終えることが出来ました。マスタークラスがなければ会う機会もなかったみんなと出会えたこと、日本から離れたハンガリーで、自分の好きなピアノを一緒に学べたこと、ハンガリーに行かなければ分からない事だっていっぱいあったし、参加できて心から良かったと思います。
あの時には戻りたくても戻れないので、また、行きたいですびっくり!!
二人の師匠、榮野川先生、後藤先生と出会えたことに、心から感謝致します。
これからも、精一杯、頑張ります。

【演奏終了後】

【後藤先生&私】
読んで下さって、ありがとうございました。

~リスト音楽院サマーセミナー④~

2011.09.18

本選の結果が出ました。演奏の手ごたえは、反省点だらけなんですけれど。。審査員特別賞(バルトーク賞)を受賞することが出来ました。
みんなレベルが高くて、上手かったです。
賞を頂き、家族の協力があって、クラシック本場のヨーロッパ、ハンガリーで学べる機会を得たのです。
ハンガリーは、二人の師匠の留学先です。思い続けていたことが、実際になり、現実ではないことが起こっている気がしました。闘病中の榮野川先生にも応援してもらいながら、スカイプを通して、後藤先生にレッスンをしてもらいました。

後藤先生と話しをしているとき、「お前。。。何があっても、ハンガリーに行けよ。」
そう言われた時、まさかと思う気持ちと、何か覚悟を決めなければいけないような気持ちがしました。
余命を聞いてしまったのです。
電話を切った後、涙が止まりませんでした。
榮野川先生、最後まで戦い抜きました。絶対負けなかったです。
こんなに早く師匠を亡くすなんて、思いもしませんでした。ハンガリーでの自分のことを沢山話して下さり、私もハンガリーへ行けるまでに、ここまで引き上げてもらえたのに。。恩返しもまだ出来ていない。伴奏だって、もっと実力を上げて、演奏が出来るように。って思っていたのに。。
約一ヵ月半が経ち、ハンガリーへ出発する一ヶ月前になっても、練習が出来なくなっていました。どうしても、ピアノを弾く気になれなかったのです。親友を失ってしまった後藤先生は、仕事でハンガリーへ行っていました。亡くなる前に、「待っていて」と、榮野川先生と約束をし、出発したのは亡くなった後です。しかも行き先が、ハンガリーです。後藤先生の気持ちを思うと、私よりももっと辛かったと思います。
国際電話で話した時、練習はどうなっているのかを聞かれ、すごく言いづらかったんですけれど、正直に、気持ちが向かないでいることを、伝えました。即、言葉が返ってきました。
「ピアノ教室に戻って。」
えっ!? 私はびっくりしました。21時を過ぎていましたし、冗談かと思いました。
「スカイプをやるから。」
そう言ってくれているのに、私はどうしていいのか分からなく、後藤先生と一緒にいた息子君に、
「やってもらった方が良いよ!」と背中を押され、何が何だか分からないまま、セープ音楽教室へ体を動かしました。
レッスンで誘導されるまま、終わった時は、ひとつの曲を最初から最後まで弾けた自分がいることを、気づかせてくれました。久しぶりでした。その好意はとても大きく、少しずつ練習をするようになっていました。家族が一番辛いのだから、私も、自分に甘えてはいけない。
悲しんでいたら、先生だって先生らしくなれない。ハンガリーも、与えてくれたチャンスだと思って、頑張ろうと、思うようになりました。

続きは次回でお話いたします。
読んで下さって、ありがとうございました。

~リスト音楽院サマーセミナー③~

2011.09.17

前回のお話の続きですおすまし
出会う人とは、偶然ではない、そこに縁があると感じます。私が二人の師匠と出会えたのもまさにそうで、今に繋がっています。師匠にも師匠がいます。ヨーロッパを代表するピアニスト、ジュラ・キシュ先生です。
http://www.tiaa-jp.com/ensoka/gyulakiss.html
沖縄でも2000年に、演奏会をされています。
私が初めてキシュ先生にお会いしたのは、2008年、東京で行われた演奏会、ジュラ・キシュ フレンズでした。

キシュ先生のことは榮野川先生から良く聞いていましたし、特別にセープ音楽教室にも写真が飾られています。右も左も分からない私は、さらに深いところへ飛び込まされたような、そんな感覚でした。
実際にお会いしたときのあのオーラも強かったんですけれど、毎年会うたびに、内なるものの力に魅了されています。ただ、ピアノが上手いだけでは納まらない、キシュ先生の人間性に、心が引き付けられました。
今まで、そういう人と出会ったことが無かったし、そういないです。

キシュ先生の音を聞けば、実感できることでしょう。
レッスン風景


キシュ先生は、私に対しても心を傾けて下さり、真剣に音を聞かせてくれます。一生懸命、教えて下さいます。それに対して、私ももっと実力を上げたい、そう強く思います。
マスタークラスのレッスン後の風景【2008年】

キシュ先生&後藤先生の家族&お弟子さん&受講生と私【2008年】


私がここまでピアノを続けてこれている源には、いろんなチャンスを与えてもらい、諦めなかったことが、今に繋がっています。先生方に本当に、感謝します。
2010年 4月、東京国際芸術教会の元、東京で、ジュラ・キシュ国際コンクールが行われました。私も受けたんですけれど、第一回目で70人という大きなコンクールで、とても驚きました。先生方は審査員に演奏会と、立て続けで休む時間さえ取れない、あり得ないハードスケジュールだったんですけれど、さすがです。どんな状況の中であっても、演奏会を成功させていました。
私は私で、学ぶことが多くあり、色んなことを感じることが出来ました。
東京すみだトリフォニーホールにて



【打ち上げにて】


翌年2011年、後藤先生の熱意が芸術教会に伝わり、沖縄予選が始まりました。

ゼネハーズの生徒もコンクールに向けて、特別な思いを力に、練習をしました。
というのも、コンクールを控えている矢先の、榮野川先生の突然の体調不良。難病でした。凄く動揺しました。ただ、榮野川先生は超ウルトラスーパープラス思考で、逆にエネルギーをもらい、私が先生の分も力になろうと、自然にそういう気持ちになっていました。先生に代わり、生徒のレッスンが始まりました。
コンクールが近づくにつれ、練習をしている時、とても焦っている自分に気が付きました。気が付かないうちに、精神的にいっぱいになっていたようです。それを察して下さったのが、後藤先生です。
横浜での仕事の合間に、先生のお見舞いをしに来て下さいました。沖縄予選の為、とんぼ返りでまた沖縄に来なければならなかったんですけれど、疲れた顔ひとつせず、一日中ずっと、生徒のレッスンをして下さったのです。後藤先生は何も言わなかったんですけれど、フォローをして下さいました。その心遣いが、とても嬉しかったです。
当日は榮野川先生も、家族と一緒に病院から外出許可をもらい、審査員として、会場に来てくれました。
沖縄予選も、東京本選を控えながらサポートして下さった後藤先生と、闘病しながらも皆のことを応援してくれた榮野川先生とセープ音楽教室の生徒の思いがひとつになることで、無事に終えることが出来たと思っています。ありがとうございます。
予選を乗り切れた私は、2日後の本選へ向けて、出発しました。
次回、お話いたします。
読んでくださって、ありがとうございました。

~リスト音楽院サマーセミナー②~

2011.09.16

前回のお話の続きですおすまし
榮野川先生から音楽を沢山教わりながら、一年経たないうちに、セープ音楽教室の特別講師であり、先生とは腐れ縁のような、10代からの親友で、大学から留学を共に分かち合いながら勉強された、現役ピアニストの後藤先生を紹介してくれました。

後藤先生は県外に住まれているので、初めての挨拶は、スカイプを通してからでした。
私の実力で後藤先生に習うだなんて汗100年早いことは、会う前から思っていました。。
ただ、後藤先生は、私のレベルであっても、絶対に手を抜きません。誠意を持ってレッスンをして下さいます。教える側の気持ちを考えると、実力が追いつかなくて、本当に申し訳ないと思いながらも、後藤先生は後藤先生で諦めずにレッスンをして下さるので、例え落ち込んでも、頑張ろう!!という強い気持ちになれました。
私は知らなかったんですけれど、もちろん、後藤先生は、私の事情を知っていました。
「良かったじゃん。退学して。」
当初そう言われた時は、私に理解出来る余裕が無くて、とてもショックを受けました。今はそうではありません。
気がつけば、トラウマをトラウマと感じなくなっていました。同時に、自分が変わっていっていることに、気づかせてくれました。
そういう師匠に巡り会えて、私は幸運です。
その気持ちは、今でも変わりません。
毎年、沖縄に来てレッスンをして下さいます。 沖縄歴は長いので、私よりよく知っています。毎回どこを観光するわけでもなく、空港とセープ音楽教室と宿泊先の往復になっちゃっているのですが。。
「沖縄に行っても、海が見れない。。」
と、横浜のお弟子さんとの話はお決まりジョークになっているほどです(笑) 本当の話です。
そんな後藤先生、去年、「海が見たい」と(笑)
私もお礼の気持ちを込めて、レッスン後、榮野川先生と車を走らせて近くの海へ行ってきました。
その日のサンセットは、恐ろしく、すごくきれいでした。



この翌日、榮野川先生と後藤先生を中心に放送していたラジオ番組「土曜の夜はゼネハーズ。非道徳レッスンラジオ版」の、最終回がありました。偶然にも、後藤先生が沖縄にいらしていたので、生電話トークではなく、一緒に収録しています。
師匠二人のやり取りが見れますよピース
良かったら、御覧になってみて下さいおすまし

長いお休みになっても、また復活します。
会える日を楽しみに、待っていてもらえたら嬉しいです。
後藤先生のレッスンを受け始めてから3ヵ月後、二人の師匠であり、ヨーロッパを代表するピアニスト、というより、むしろ大芸術家と称するにふさわしい、ハンガリー出身、ジュラ・キシュ先生と出会います。

続きはまた次回お話いたします。
読んで下さいまして、ありがとうございます♪赤

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